失尾(しっぽ)

失尾(しっぽ)とは:
尾行や張り込みの最中に、人混みや交通状況、対象者の予期せぬ行動などが原因で、調査対象者(マル対)を見失ってしまうこと。「尾(尾行)を失う」という文字の通り、探偵が最も警戒し、避けるべき事態のひとつ。

失尾のリアル:ある探偵の記録

「一班、マル対を見失いました!……クソ、失尾(しっぽ)です!」

インカムから飛び込んできた相棒の焦燥に満ちた声に、私の心臓がドクリと跳ね上がった。平日の午後6時、夕暮れ時の新宿駅。乗り換えの乗客でごった返す大混雑のホームで、私たちは一瞬のエアポケットに落ちていた。探偵業界において、「失尾(見失うこと)」は最大の敗北であり、プロとしてのプライドが最も傷つく瞬間だ。

対象者は、普段の行動パターンからは考えられない「急な快速電車への飛び乗り」を見せた。まるで、後ろに追っ手(私たち)がいることを察知したかのような、あるいは単に急いでいただけの、予測不可能な動き。満員電車のドアが閉まる直前の一瞬、一般の乗客の波に対象者の姿が遮られ、私たちの視線が一瞬だけ遮断された。そのわずか数秒が、失尾という致命的な結果を招く。

「落ち着け、まだ遠くには行っていない。二班は先回りで○○駅の改札へ。私はこのまま次の各停で追う!」

私はすぐさま指示を飛ばし、脳内の地図をフル回転させた。失尾したからといって、そこで諦める探偵はいない。プロの真価は、失尾した後の「リカバリー(挽回)」で決まるからだ。対象者のスマホの電波情報やGPSがあるわけではない。頼れるのは、これまでの予備調査で徹底的に叩き込んだマル対の行動の癖、よく使う路線、そして浮気相手(二対)の自宅の位置などのデータだけだ。

「彼なら、このまま次の主要駅で降りて、いつものデートコースである東口のカフェに向かうはずだ」

点と点を線で結ぶように、マル対の思考をトレースする。緊迫した空気のなか、息を切らせて先回りの駅に到着した。改札から吐き出される無数の顔、顔、顔。目を皿のようにしてターゲットの服装を探す。

……いた。グレーのジャケット、少し右肩の下がった歩き方。間違いない、マル対だ。彼は私たちが失尾していたことなど露知らず、スマートフォンの画面を見ながら歩いている。

「マル対を再補足。尾行を再開します」

無線に報告を入れ、深く息を吐き出す。背中には冷や汗が流れていた。失尾の恐怖は、探偵をどこまでも謙虚に、そしてどこまでも緻密にさせる。

失尾を防ぐ「チーム体制」とプロの執念

探偵が調査を「1人」で行わず、必ず2〜3人の「複数人のチーム」で行う最大の理由は、この「失尾」のリスクを極限まで減らすためです。どれほど経験豊富なベテラン探偵であっても、予期せぬ信号の切り替わりや人混みによって、1人きりでの追跡には限界があります。お互いの死角をカバーし合い、万が一見失っても瞬時にリカバリーできる連携体制があるからこそ、プロの探偵は高い確率で「真実の証拠」を依頼人の元へ届けることができるのです。